[クラブ紹介]
本クラブは NPO法人S.victoire S.C(ヴィクトワール S.C)と称します。
2007年ヴィクトワールという名でサッカーショップをオープンしたのをきっかけに、2008年JYを立ち上げ、2009年Jrを立ち上げました。
2015年 OBその友人たちを集めトップチームが始動し、2016年より神奈川県3部リーグに所属し、楽しみながら上位を目指し、「みんなに愛されるサッカー」でOBが帰ってこれる場所としてトップチームを立ち上げました。
子供のことを一番に考え、子供の為に、選手の為に、を一番に考えるクラブ作りを目的として活動をしております。

[クラブコンセプト]
「自ら考え、判断し、行動する」

サッカーのみならず日常でも必要なことだと思います。
今、この状況で何が出来るのか、何が必要なのか、とっさのことにも対応できるような判断が出来る選手の育成を心がけております。

「サッカーは楽しくなければサッカーではない」

サッカーは、やらされてやることではないと思いますし、楽しくやるものだと思います。
自らが率先して行動をする、勝って喜ぶとき、負けて悔しがるとき、きつく苦しいときも、みんなで励まし合う。
それこそがチーム力の源であり、楽しさの原点ではないかと思います。
サッカーは一人ではない。どんな時もみんながいるから楽しいんだ。と思えるようにサッカーをしてもらいたいと思います。

「周りから愛される、応援される選手の育成」

サッカーの時には常に真剣に戦える、自分に負けない選手、そしてサッカー以外でも周囲に気を配り行動できる選手の育成を心がけております。
あいさつなどはもちろんですが周りの状況もしっかり把握し行動していってくれればおのずと周りもみんなを認めてくれることでしょう。
心の広い選手を目指して下さい。


代表 斉藤 正樹 とは

代表の斉藤 正樹は、小学4年生から地元の少年団に入り、6年生時にはGKでプレーし、1年間で公式戦に勝利したのは1勝のみという結果でした。中学生になってFPに戻り、中学校の部活動でプレー、中学時代に川崎選抜に選出され、姉妹都市であるアメリカのボルチモアへ川崎選抜の一員として遠征に参加、その後は特に目立った結果は出せず3年間を終えました。その後川崎南高校へ進学し、部活動でプレー。川崎南高校では入学時からレギュラーとなりますが、指導者に恵まれず、最後の1年間は、サッカーを知らない先生が顧問の先生となるなど苦労を重ね、卒業後はブラジル留学を決意したが、兄に先にブラジル留学をされたこともあり、別の道へと考え、当時百合丘高校で指導をしていた、山本先生(現橘高校)に声をかけられ、石川県のルネス学園(サッカー専門学校)を紹介され、2年間石川県でプレー。在学中に全国専門学校選手権で優勝し、得点王になり、日本専門学校選抜に選出され、アメリカ遠征へと参加。その後いくつかのJクラブのセレクションを受けるもどこにも受からず、川崎に戻り1年間、地元の先輩たちとプレーをし、このままではいけないと考え、専門学校時代の友人に連絡を取り、市原スポーツクラブのセレクションを受け、合格し、千葉県リーグ1部優勝、得点王、などの活躍を見せる。
そして2002年アマチュア選手としては初のJサテライトリーグ出場を果たすとともに、その後のアマチュアとしての活躍が、元日本代表監督であるオシム監督(当時ジェフ市原・千葉監督)の目に留まり、オシム監督直々の指名で、アマチュアから初のJリーガーへの道を開いた苦労人です。
その後、ザスパ草津、V.ファーレン長崎などのオファーもありましたが、家族と離れることにデメリットを感じ、家族と一緒にいながら戦える場所として、Y.S.C.Cを選択。2年間プレー(元日本代表上村選手などとプレー)して現役を退き、長男が中学に上がるのをきっかけに指導者への道へと歩みだしました。

全国専門学校選手権優勝・得点王
全国専門学校選抜
千葉県リーグ 2年連続得点王
千葉県リーグアシスト王、
関東リーグ得点王(13試合出場24得点)
関東リーグベストイレブン
関東リーグ優勝、準優勝
天皇杯出場。
アマチュア選手として初のJサテライトリーグ出場。
アマチュア選手として初のトップチーム昇格 背番号36番(J1選手)
Jリーグ 2ndステージ 準優勝(阿部選手(レッズ)羽生選手(FC東京)、佐藤選手(JEF)水野選手(ベガルタ仙台)、水本選手(サンフレッチェ)山岸(サンフレッチェ)巻選手(ロアッソ熊本)などと一緒にプレー)
全国地域決勝大会 準優勝(JFL昇格)
全国地域決勝大会出場
全国社会人大会 ベスト8
兵庫国体出場 全国3位(神奈川県国体選抜)

2007年度現役を引退し、ヴィクトワールを立ち上げ今に至っております。

斉藤監督からの言葉

私のエピソードを見ていただいてもわかるように決して恵まれた環境でもなかったですし、恵まれれたレールの上を歩いてプロになったわけではありません。
自分自身いろんなところでプレーをし、いろんなところでの経験があるからこそ貪欲に、ひたむきにサッカーが出来るのだと思います。
どこで自分がうまくなったかわかりませんし、今でもうまくなっていると思ってます。
ただ、サッカーを続けたい、そしてプロになりたい、っと常に思ってました。
なぜそこまで?っと言われるかもしれませんが、サッカーは本当にやればやるほど、上達すればするほど、やることが増えてきますし楽しさが増します。
同世代のうまい選手はたくさん見てきましたし、たくさん戦いました。正直差は歴然でした。
それでも、あきらめなかった。負けたくなくてがむしゃらにサッカーをしました。本当に毎日サッカーしてました。そして楽しみました。本当にただそれだけです。
みんなに伝えたいのは、サッカーに限らず、“あきらめず努力し続ければ” 絶対にチャンスは来る、未来はある。っということです。
どこかで道に迷った時、何かにぶつかったときには初心に帰り、思い出しましょう。
そうすればおのずといい方向へいきます。
サッカーを始めたのはなぜ?続けているのはなぜ?と考えて下さい。
私の答えは、[楽しいから]です。
たくさん楽しんで、たくさん笑いましょう!!
心からサッカーを通じて楽しみましょう!!
一人でも多くの子供たちに笑顔を与えたいと思います。
皆さんも私と一緒に楽しくサッカーをしましょう。
トップ昇格背番号36番 全国地域決勝準優勝 JFL昇格 YSCC地域決勝大会
兵庫国体全国3位 全国社会人得点シーン  JEF佐藤選手と2ショット
サッカーマガジン1ページ 当時のJ1ユニフォーム 


[クラブイベント]
クラブとして様々なイベントを行っております。
下記イベント以外にもたくさんのイベントがあり、2015年度には大運動会を開催いたしました。
BBQ&親子サッカー クリスマス親子サッカー JY3年生、Jr6年生を送る会


[チームバス]
合宿、遠征、練習時の送迎などに使用しております。


S.victoire とは「夢に向かって、希望を持って常に勝ち続けよう」という思いを込めて名付けました。
S.victoireの「S」には、
・ポルトガル語でsonho(ソーニョ) 夢
・スペイン語でsueno(スエーニョ) 夢
・ポルトガル語でsempre(センプリ) 常に
・ポルトガル語でesperanca(エスペランサ) 希望
という言葉が込められています。

たくさんの想いが込められているので「S」は大きく大文字です。
victoire(ヴィクトワール)とはフランス語で勝利という意味です。
いろいろな国の言葉を使うのは、いろいろな人たちの協力なしではこのクラブは立ち上がらなかったと思いますし、いろいろな可能性を秘めてる子供たちに、いろいろな道を作ってあげたいと思い、いろいろな言葉を使いました。

「夢に向かって、希望を持って、常に勝ち続けよう!」